創立110周年記念企画 秩父鐡道110年の軌跡
第3回 創業期(その2)
〜念願の秩父地方への線路敷設〜
寄居〜波久礼間の開業後、日清戦争後の財界不況が重なり極度の資金難が続き、波久礼から秩父方面への工事は難所も多く、やむを得ず波久礼駅を終点とする期間が7年続きました。
鉄道敷設に情熱を燃やし続けた初代社長柿原萬蔵氏は、志し半ばにして病に倒れ、義弟の柿原定吉氏が2代目社長に就任しました。財界の有力者であった渋沢榮一翁に援助を要請し工事を再開。
下波久礼付近
=下波久礼付近=
断崖と荒川に挟まれた下波久礼から矢那瀬など工事は困難を極めるも約8年をかけて、波久礼〜金崎(皆野町)間の約11キロが明治44年9月14日に開通しました。これにより野上町(現在の長瀞町)は都会から訪れる人が大幅に増加し観光地へと発展しました。
荒川橋梁建設工事
=荒川橋梁建設工事=
金崎からの延長工事は当初、荒川左岸から向かうコースが計画されていました。しかし、地質上、線路の敷設・維持が難しいことから、荒川右岸へ渡るコースに変更されました。荒川、三沢川、横瀬川の橋梁工事など数々の難工事を克服し、大正3年10月27日ついに念願の大宮(現在の秩父)まで線路が結ばれ、期成同盟会以来の目的であった秩父地方の交通の改善による産業の開発を達成することができました。 ※金崎駅はコース変更により、現在はありません。