創立110周年記念企画 秩父鉄道110年の軌跡
第7回 黄金期
〜戦後復興と高度経済成長 昭和25〜46年〜
終戦直後の混乱が峠を越えると、高度経済成長を迎えました。輸送需要の増加に伴い、電車・貨車の不足が目立ち始め、電車・貨車の増備と、創業当時からの諸施設も50年を経過し老朽化が見られたため、数々の近代化工事を行うことが決定しました。
貨物輸送は、昭和20年後半から好調なセメント関連製品の輸送に支えられ順調な経過をたどり、老朽化した設備改善も急ピッチで行われ、昭和26年には変電所の電圧を1200Vから1500Vへ昇圧し、単線自動信号化が進められ、昭和27年には電車のスピードアップなど設備改良も行われていきました。
102号
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さらに、昭和31年に秩父セメント第2工場、昭和37年に秩父セメント熊谷工場と新設が相次ぎ、輸送力増強が当時の最重要課題で、しばらくの間は、各社からの借入でしのいできましたが、昭和34年に30t積貨車31両、昭和35年には15t積貨車120両、50t電気機関車(ED38)2両、昭和36年には15t積貨車30両、昭和42年にはED38形電気機関車と300形電気機関車3両と増備を行いました。
500形
=500形=
高度経済成長とともに、旅客も増加したため昭和34年にクロスシートの300形電車4両をはじめ、昭和37年には500形・600形の電車を増備し、国鉄からの直通列車乗り入れも行うなど、旅客営業にも力を注いでいきました。