秩父鉄道を彩る情報誌 PALETTE2022年10月号(NO.59)

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- り
ら
き
ー
リ
ー
ス ト づ ける 方 に
つ
やき
が
でか
!
沿 線 ビ ュー
タ
イン
オ リ ジ ナ ル 創 作 ら ー め ん が 人 気 の﹁ 奥 我 ﹂を 営 む 、
ながら、独学でメニューの開発を続けた。
そ
関わり、
義兄の店でスープの取り方を教わり
の準 備を 始めた。
店舗の工事に自分たちも
義父の協力も得て、皆野町で開店のため
我﹄
を 始めることに決めました﹂。
が 、店を 閉めることになったんです。その
﹁ 東 京でラ ーメン店 を 経 営 していた 義 兄
夢 の ラ ー メ ン 店 を オ ー プン
屋号を引き継ぎ、
トマトやカレーを 加えた﹃トマト 坦 々麺 ﹄
いう 言 葉から 、看 板 メニューの 担 々 麺に
﹃ うちのラーメンには辛いものがないね﹄
と
の 中で 生 ま れる ものが 多いです 。例 え ば
て生 まれるのだろう 。﹁スタッフとの会 話
では 、奥 我の創 作 ラーメンは 、ど うやっ
アン テ ナ か ら 生 ま れ る アイ ディ ア
会 話 か ら の ひ ら め き と 流 行への
らの常連客が今も通う店に。
抜かずに 向 き 合い続 けて
皆 野 町 の 未 来 を 盛 り 上 げ たい
僕たち 世 代で、
笑う。
のは 、選ぶ 楽し さを 味わってほし くて﹂と
て
﹁お客さまに太 麺・細 麺を 選んでもらう
材を 使っても ラーメンであること ﹂。そし
その 創 作 過 程のポリシーは﹁ どんな 食
み合わせをいつも考えています﹂。
流 行 り そうなモノと うちのラーメンの組
流 行りそうな 食 材をチェック。﹁ 世の中で
ない。
ファミレスやコンビニに寄ったときも
中村さん自身も常に情報収集を欠かさ
張って、皆 野 町を 盛り 上げたい﹂と 話す中
お 金を 稼 ぐことも 大 切 。僕たち 世 代が頑
しいという思いがあります。店や事業を始
その先には独立して、皆野町で活躍してほ
経 験して得たノウハウや人 脈を 伝えたい。
﹁若い人たちに奥我で働いてもらって、僕が
があるという。
えたい﹂﹁僕たちがやらないと﹂
という会話
村さんの先輩や後輩の間では
﹁皆野町を変
起こしたり、飲食店を営んだりしている中
が廃業する現状があるから。個人で事業を
なぜなら 、後 継 者 不 足で皆 野 町の事 業 者
中 村 正 道 さ ん に イ ン タ ビュー し て き ま し た !
して2008年2月、﹁奥我﹂
がオープン。
や﹃田 舎のカレー 坦々麺 ﹄が 生 ま れた り 、
年 。開 店 時か
﹁ 最 初 は ラ ー メン一杯 を 提 供 す るのに も
﹃ 季 節 感 のあ る も の が ほ しいね ﹄とい う
機 会に 屋 号 を 受 け 継いで 、僕 た ちの﹃ 奥
時 間 がかかって 、お 客 さ まにも 迷 惑 をか
中村さんがこれから取り組みたいのは
﹁若い
た。
村 さんの 声は 明 る く 、力 強 さで 満 ちてい
めることが難しい今だからこそ、
ちゃんと
け ま し た ﹂と 中 村 さ ん 。それでも 仕 込み
人が地元で活躍できるためのサポート﹂。
☞「創作らーめん奥我」
についてはP5で紹介しています
言葉から期間限 定 の﹃ 柚 子 し お ラーメン﹄
中村 正道さん
(創作らーめん奥我 店主)
が生まれた り 。それぞれ大人気です﹂。
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や調理、接客の一つひとつに心を込め、手を
…
会
社
勤
めを
し
﹁いず
な がら
れ自 分
た
やり た
ち
で
飲食店
いね ﹂
を
と
話 して
いた 中
村
接客業
さ
んご 夫
に興 味
妻。
が
調
あ
理
っ
師
た中 村
免許
を
さ んと
持
若い二
つ奥 さ
人
ま、
の
夢
が実 現
き
っ
か
した
けと は
。
第59 回
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