2代目社長の柿原定吉氏は、武甲山が石灰石の宝庫である事に着目。大正6年秩父〜影森間を延長、翌年9月には貨物専用の武甲線が開通しました。しかし、輸送量が激増したことで蒸気機関車による旅客と貨物の混合輸送に限界がみえはじめました。そこで安全で大量輸送が可能な電化導入を決定し、大正11年1月熊谷〜影森間全線の電化工事が完成しました。これは現存する私鉄(地方鉄道)では最古といわれ、国鉄の東海道本線よりも早かったといいます。
その一方で、羽生〜行田間で鉄道工事を進めていた北武鉄道会社と合併し、更に会社は発展しました。

=電化完成当時の新造電車=