創立110周年記念企画 秩父鐡道110年の軌跡
第5回 奮闘期(その2)
〜奥秩父へ延びる線路〜
大正8年以降数年間は、第1次世界大戦の影響を受け、財界の異常な好況と共に、秩父鉄道も電化計画・北武鉄道合併等めまぐるしい発展を遂げました。創業以来、犠牲に甘んじていた株主に報いることができたのも、大正8年のことでした。大正14年には、秩父駅近くに秩父セメント秩父第一工場が創業開始し、武甲山の石灰石搬入と製品の搬出に鉄道が利用され、貨物輸送量は大幅に増加、この年の収入はそれまでに比べ5倍以上になりました。
武甲駅
=武甲駅=
影森〜三峰口間の延長については、大正8年11月の重役会議で決定しました。この区間は、荒川渓谷に沿って曲折し、浦山川・安谷川橋梁などの難工事が多く、土地の買収にも手間取った一方、電化工事等の先行工事があった為、しばらくこの工事は停頓していました。
その後、地方有力者に鉄道延長期成同盟会が結成され、用地買収も順調に行われるようになり、昭和3年2月には工事に着手。この間、偉大な功績を残した2代目社長の柿原定吉氏は引退し、取締役であった諸井恒平氏に後任を譲りました。
深い山間のため、難工事も多くありましたが、昭和5年3月15日、影森〜三峰口間の運行を開始しました。