創立110周年記念企画 秩父鐡道110年の軌跡
第6回 動乱期
〜秩父鉄道の戦前戦後 昭和15〜24年〜
戦争が暗い影を落とし始めた時代です。経済の統制や軍需工場の乱立、疎開など秩父鉄道も時代の渦に巻き込まれていきました。
戦時体制下の輸送はセメントや木材などをはじめとした軍需物資の輸送が最優先され、一般観光客の乗車制限の実施や、旅客取扱の簡素化を目的とした「ラウンドナンバー制※」の導入や、運転時刻の見直しなどが行われました。
※「ラウンドナンバー」は数字の切り上げを意味し、運賃の端数を切り上げることにより、 小額貨幣不足の対策と小銭での精算事務の負担を減らすための取組み。
出征兵を送る風景
=出征兵を送る風景=
昭和16年には、太平洋戦争が勃発し、各駅では出征兵士を見送る日々が多くなり、英霊のお迎えも絶えませんでした。日本本土空襲が激しくなった昭和19年頃からは、東京からの学童疎開や軍隊施設の移転など従来と異なる輸送が主となりました。
熊谷市は終戦直前の8月14日から15日未明にかけ、県下最大の被害を受けた「熊谷大空襲」により秩父鉄道本社建物・貨車合計7両なども被災しましたが幸い、貯蔵品・電気機関車・電車は予め疎開してあったため被害は免れ、終戦後は社員の懸命の努力によりいち早く復旧し、戦後復興を担うことができました。